謝罪文

2001年12月22日
入院してました。

ワタシが幹事で「ぼーねんかいやろー!!」とか言っておきながら
関係者&参加してみようかと思った人にはとてもご迷惑をおかけしました。
そして、とてもご心配をおかけしました。
病床ではメールができるときとできないときの差が激しく
心配をかけたくないのにそれすらできない自分が悔しかったです。
ほんとは金曜までに退院して、空元気でも騒ぎたかったのですが
退院は土曜になってしまいました。ごめんなさい。

どんなことがあったのか、ここに書くことがみなさんへの義理だと思っています。
とんだ地雷女だということは覚悟しておいてください(笑)(’-’*)フフ


過去日記は16日〜にうpしてあります。
まとめずに、ただ書いただけなので長いです。
明日からは、ちゃんと更新していこうと思ってます。
 
 
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☆ひなひな☆追加日記☆
 
つらい続きです。でも最終編にします。
日にちをずらそうかとも思ったんだけど
明日も書こうと決めたので(リハビリのためにも)
ここに続きを書きます。
 
 
土曜の朝も泣きじゃくってました。
でも退院するしかありません。退屈ですもの。
内科の先生@ナイスミドル は「どうすることもできない」しか言えませんでした。
そりゃそうだ。だって内科病棟ですもんね。
それにここじゃ出ても睡眠薬だろう。
しかもきっちり管理されるだろう。
ワタシが欲しいのは抗鬱剤です。

帰りの足で、他の病院へ向かいます。

ひとつめ。精神科の入院施設がないとのこと。
もしものとき対応が遅れるから、入院設備のあるほうがいいヨ。
たらい回し。
ふたつめ。
とっても混んでたが見てくれるとのこと。
が。
ワタシに入院の意思はない(そりゃそうだ、もう飽きた!!)ということで
それなら外来のクリニックへ行けとのこと。
たらい回し。
みっつめ。
午後の診察時間まで移動し終わっても時間が余る。
退屈だ。

どうやら鬱病ではないらしい。
鬱状態だということ。

  失恋ナンテ出会いノキッカケダヨ
  若いンダカラ、マダマダコレカラダヨ
 
よく聞く上辺。そんなのアタマじゃ分かってる。
だからって、どうしたいのかはよくワカラナイ。
どうすれば、忘れられるのかもワカラナイ。

でも、薬が出たからヨシとしよう。
寝れない と言ったら睡眠薬もくれた。


親にたくさん泣かれた。
ワタシが泣きじゃくってたら、母親も泣いてた。
風呂上がりの背中を見て、父親が泣いた。
 
 気付かなくてゴメンネ
 
いや、気付かれるはずもない。言えない恋だから。
 
 どんなときでも、家族は一緒だよ
 
今一番辛いコトバ。やっぱりワタシじゃダメなんだ
 
 どんなときも、おとうさんはあんたの味方だから
 
喜べないくらい汚れてる娘を許して。

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